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poemes d'un jour

poemes d'un jour(ポエム・ダン・ジュール)というのはフランス語で「ある日の詩」といった意味で、私がクラシック音楽の中でおそらく最も好きなガブリエル・フォーレの歌曲集からお借りしたのが15年前くらいか。それから、私のここは、詩です。そんなことを今日思い出した。

ここでの私は詩であり、歌であり。それとは別に、私は自分を説明しないと理解してもらえないわかりにくい人間で、皆様に理解していただきたいと思って自分を事細かに説明してきたのでした。どれだけ近くに長く居ても誰にも理解してもらえないと気が付いた時からずっと。

たまたま今日、母が私のことをやっと理解出来てきたと言った。理解してもらうのに35年、40年かかっているのか。私を受け入れようとしない母に泣き喚きながら説明を繰り返した記憶があります。そんなに昔のことではありません。

自分の説明書を書き上げようと思った時もありましたが、今は、「ある日の詩」という部分の方を大切にしたいと思っています。




書いてもいいのかなと思った理由は、今日人に書いたら良いと言われたから。
誰かの迷惑になるかもとか気にしなくて良いと。
確かに、遠くの人たちに伝える手段が無くなって困っていました。
私の想いの整理場所も無くなって戸惑っていました。



『私が歌になるまで』というアルバムの曲を書いている。8曲出来た。最近、毎日時間が許す限り歌って、6/22のライブでは8曲全部出来そう。フォーレの「ある日の詩」のように、自分なりの歌曲集のつもり。私は曲は単曲では作る気はしないタイプで、1つのアルバムに1つの大きなテーマがいつもあります。『眺め』は突発的制作作品で例外ですが。

このアルバムの曲が歌いたい。
自分をリアルタイムで歌えるのは随分久しぶりで、それは勇気の要ることですが、自分にとってはその行為はどんな名曲を歌うことよりも価値のあることなんだと思います。

人間らしく、生活の側で生まれた、ただの私の個人的な歌。自分の中では評価とは関係のない立ち位置にあるはずなのですが、それでも聴いてもらいたいと思いました。誰しもの歌や声は聴かれる為に発せられるのかもしれません。


ある人の影響が大きい。

こうやって新たに歌っていける曲が出来たことで、私はすでに幸せなんだと思います。
大きな一歩だな。

だって、私の性格では一生無理と思っていたので。
日本語で今をまっすぐ歌うとか。
小心すぎて。

あとはライブ会場に行くだけだから。
行けば歌えると思う。

明日も家で歌いたいと思う。今日もピアノが弾ける時間になるまで待ち遠しかった。
今まで家で練習以外に自分の曲を歌うということがなかったので、良い感じなんやなと思います。

 

歌と一緒に前に進んでいく。

歌なしでは、心細いのです。

歌なしでは、自分が正直に生きれるかどうか、疑わしいのです。

この歌曲集が一番好きという意味ではないけど、フォーレの歌曲は聴いて欲しいです。

 

いつかフォーレの歌曲を歌ったアルバムを出したい。

昔からずっと想っています。

ピアノが結構大変そうで...弾き語るには結構な気合いが必要かな。