<< December 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
Mujika Easel という存在


Mujika Easel のことはMujika Easel ちゃんだと思う。植物たちと同じようにもう一人の自分のように育ててきたような感じ。


今日はもう日記を書いたけど、今度のライブの選曲とリハをしていて新しく感じたことがあったので記録しておく。


Mujika Easel としての強い意識があったのは2003年〜5年間くらい。歳を重ねるにつれ、薄れていったものの2010年までは確かにあった。私にとってMujika Easel は、ただのアーティスト名ではなく、生き物で、2003年頃に産まれたもう一人の自分。多重人格ではなかったけど、それに似た感じのもので、自分には違いないんだけど、物語の人物のような感じでもあった。最初は意識的に作り出したはずが、いつの間にか自我があやふやになったというか。


今思えば確かに私自身なんだけど、夢を見ていたような気もします。


私自身がどうなっていたかはよくわからないけど、2010年頃〜はMujika Easel の音楽を否定していた気がします。


「眺め」をリリースした頃にはそうでもなかったけど、正直、Mujika Easel のことは他人のような気がしていた。Mujika Easel ってどんなだっけ?とか思い出しながら練習していた。(昔は練習などしたことがなかった)


私はそんな感じでチグハグしたり、試行錯誤したりしていたけど、周りの人たちは私にもMujika Easel の音楽にも好意的で、意味がわからないまま、ただありがたいと感謝して、今自分にできることを精一杯やるという状態の時間を過ごした気がします。



Mujika Easel が人格を持った人間なのか、私のただのアーティスト名なのかがわからなくて、戸惑っていました。今もよくわかりません。だけど、今日リハをした時に、新しい自由な感覚がありました。


今まで人を緊張させてしまうと否定していた静けさが心地良く、曲に関しても自分はこの曲がやりたいとか、好きとかがはっきり分かりました。今まではぼんやりとしか分からなかった。


目覚めた気がする。


でもあれですね、正直になると、ピアノの音がすごく聴こえて、歌がやはり昔のようにはなかなか歌えない(職業病かも)。ピアノだけで満ち足りている。それでもいつもうたがはじまれば、安心して緊張が取れる。


そんな中、自然に歌える歌、歌いたい歌が今日わかったのがとても嬉しかった。


7/1のライブは、歌いたい曲にしようと思う。ただワンマンなので、それだけじゃ時間がもたないかも。残り時間は、即興にするか、他のも歌いたくないわけではないので、好きな人がいるかもということでやってみるか、もう少しリハで感じてみようと思う。


当初から私はその時の自分に素直な歌をうたうとしてライブをはじめた。それが真実。一番響くだろうから。それは今も間違っていないと思う。


偽りを歌っても仕方がない。ただ素直が何かがわからない時があった。それを責めていたのかもしれません。


結局なんやねん…という答えは出てないけど、また一歩進んだ気がします。