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poemes d'un jour 254


日曜日、二人とも休み。まだ仕事と家事でいっぱいいっぱいのところがあるので、用事以外、どこにも出かけていない。朝の散歩に行ってみた。肉眼では海と淡路島がくっきりと見えていたけど、写真じゃぼやけて、改めて人間の目のレンズってすごいなって思うこの頃(このブログ、サムネがぼやけるので、クリックするともう少し鮮明な画像になります。それと、家がまだネットが繋がっていなく、スマホも速度制限が来ているので元ファイルだとアップロード出来なくて、小さめのファイルでアップしています。)











家から5分くらいで、旗振山の登山道。
寝起きの散歩なので少しだけ。

10人くらいの人に遭遇した、全員と「おはようございます」の挨拶をした。見えないところで(源平合戦のお墓のようなところが段になってて)尺八を吹いている人が居た、山に響き渡っていたけど、とても合っていた。ネコと挨拶したり、椿の木にメジロが2羽居て、間近で見れたのも嬉しかった。

けど、鳥の鳴き声の数に関しては、家の庭の方がたくさん聴こえるかも。日や時間帯にも寄るけど。自分の家が、改めて、いい家だなって思えた。

なんかでも山にすぐ入っていけるのは安心する。
海も行かなきゃ。
せっかくすぐそこにあるのに。





庭にバードバス(鳥の水浴び場)を作った。これは2つめ、バージョンアップのソーラー噴水付き。

部屋からも水音が心地よい。
鳥は鳴き声はたくさんするし、頭上を飛んだりもするけど、全然来ない。
いつか来てくれたらいいな。

ちなみに冷たくて気持ちよさそうに見えるけど、実際は水は太陽熱ですぐに温くなってしまっている...。



ちなみに1つめはこれ。



みんな仲良くやっていきたい。
けど、我慢とか合わせるとかじゃなくて。
それぞれの自然を受け入れ合う。


もっともっとのんびり過ごしたい。

poemes d'un jour 253


毎日ほとんど雨だ。
休みの日は雨が心地よい。

この山の家で梅雨を迎えるのは初めてで、どこの窓は雨が入り込むから閉めないといけないとか、どこは開けてても大丈夫だとか、湿気が高くなりやすい部屋はどこだとかが分かってきた。1つしかなかったエアコンを山側の部屋につけたのは正解で、湿気のたまりやすいその部屋はエアコンで除湿をしてカビの発生を防ぐ。

前の家(山だったけど今みたいに林が家に面しているわけではなかった)の経験もとても役に立つ。


雨上がり。
風が心地よい。





鳥のこと。

twitterにはいちいち書いているけど、facebookには書いていない。
鳥を追っている。

鳥が鳴くから、幸せなんだって思う時がある。
鳥はそれくらい大切な存在になってしまった。

鳥が家の周りで鳴くと、全方向の視野が広がって意識の曇りや詰まりのようなものが取れる。
そして何より愛らしい。

愛と自由。
山の毎日のドラマ。
二人で鳥のことを話す時間も長い。


昨日は、最近彫っているシジュウカラの本物が庭に来てとても感激した。なぜシジュウカラにしたかはキットがメルカリで彫刻刀付きで送料込みの1200円と、とても安かったから。きっかけはそんなものだけど、制作に当たって、見本は全然シジュウカラっぽくないので、自分で色々調べないと彫り出せなくて、調べて分かってくるうちにまだ見たこともない鳥に愛着が沸いた。そして、庭の山の方で初めての(しかし野鳥図鑑で聴いたような)鳴き声がして、もしやと思っていたら、少しして庭のエゴノキにシジュウカラがやってきた。1〜2分でどこかに行ってしまったけど、きっとまた来てくれると思う。









画像や動画じゃなくて、本物は命が躍動している。
圧倒的な存在感、点ではなく、過去から未来まで存在している存在の重量感。

私の存在と繋がる。



少し晴れ間が差した前の日は山側の庭仕事をしていると、頭上の低い木にメジロがたくさんチュルチュル集まって来て、間近で元気に飛び回る姿に感動した。メジロの姿を見るのもこの家では初めて。昼寝をしていた雅貴くんを起こしに家に戻って、「メジロがきた〜」って言ったらすぐ起きてくれてメジロに逃げられないように一緒にソーっとまた山への階段を登った。

そこにはもう居なくなっていたけど、声のする方、もう少し奥へ行ったら、もっとたくさんの種類の鳥が飛び回っていた。メジロ、ウグイス、コゲラ、ヒヨドリ、ヤマガラの鳴き声を聞き分けれた。ウグイスとヤマガラ以外は姿も見れた。コゲラを見たのも初めて。木をコンコンやってた。(コゲラは日本最小のキツツキの仲間)

偶然と出会うことってすごく感動するんやなって。
自分の力だけでは起こらないことが起こると感動するのかな。

ご縁、交差点、瞬間。


いろんな種類が居ると、ほんとうに楽園みたい。

最近は鳴き声が聞き分けれるようになってきたので、実は都会にも色んな鳥が居るということも分かった。車などの騒音で聞こえにくかったり、全部スズメだと思い込んでるだけやな。レッスンでよく行く天下茶屋でも西田辺でも何種類か鳴いている。電線を見ても、スズメの中に混ざって別の鳥が1羽いたりするのを発見する。ヒヨドリが鳴いていたり...。それで、うちは山なのに都会にいるのと大体同じ種類の鳥しか居ないんか...ってちょっとだけがっかりな瞬間もあったけど、この2日でたくさん出会えて満たされた。

まだまだよくわからない鳥の鳴き声が聴こえるので、少しずつ判別出来たらいいな。





・庭のルッコラと庭のサラダバーネットと庭のトマトと納豆とヨーグルトメーカーで作った温泉卵と玉ねぎのバルサミコ風味サラダ
・庭の小松菜とエリンギ、シメジ、舞茸のニンニクバター醤油(チアシード入り)
・庭のニラとひじきとわかめの味噌汁
・カボチャ(アマニ油とバルサミコ)
・白米

今日は5品目も庭から採れた、美味しかった。


しばらく体調不良や多忙や鳥に熱中してしまって書いていなかったその分と今日も色々あったようなで、書ききれない。またタイミングがあったら別の日に書く。今吹いている風のことなど書きたいねんけど。


モーツァルトを聴いている。
poemes d'un jour 252
夜風が心地よい。
窓を開ける、庭の虫の声と遠くの電車の音が聴こえる。

虫が出なくなった。
うちにはアシダカグモが2〜3匹いるから。
窓を開ける。

また裏の家の人が勝手口付近(うちの家との隙間の通路)で虫が出たみたいで退治している声が聞こえた。何の虫を退治しているかまでは分からなくて気になる。うちのアシダカグモがちょっと外に散歩に出た時に殺されたらどうしようって思った。





昨日は二人で近くの川の七夕の飾りを見にいった。その川の鯉のぼりが取り外されて間も無く、川を通った時に、何かの準備をしている大家さんに声をかけられた。七夕やったんやな、大家さんが一人でやったとは思えないけど、中心になってやってるのかな?夜はライトアップされて、たくさんの笹に願いが込められていた。パッといくつか見た感じでは子供は「〇〇になりたい」という将来の夢、大人は平和を願う感じかな。



誰の願いだろう、いい人。
町の人もここはいい人ばかりって言っていた。



いつもレッスン帰りの夜遅くに一人でライトアップを見ていたので、一緒に見れてよかった。





昨日、今日は二人でたくさん鳥の声を聴いた。
ウグイスはとても愛着が沸いていて、鳴き声が聴こえると楽しくなる。
大体ずっと鳴いているので、ずっと楽しい。

カラスの子供、生まれたんかな。
この前までなかったちょっと若い声が聴こえるし、黒い小さいカラスみたいなのがアーチに止まっていた。

メジロの鳴き声を聞き分けれるようになった、たぶんメジロ。
山の木が大きくて高いところにいるから、小鳥が動いているのは見えるけど、何かまでは分からなくて。

スズメもとてもかわいい。
今まで特に気にも留めなかったけど、スズメがかわいい。

poemes d'un jour 251


とても涼しい風、半袖では寒い。

時間の使い方については前から結構、細かく考えている。
残り時間を考えてるから。
やりたいことも多すぎるし...。
あと50年は生きたいなって。
その50年をどうやって使うか。

まずあと50年生きるためには健康でいないといけないので、健康は必須。
ベッドの上で長生きしたいわけじゃない。

そんな風な考え方だけど、最近もっと豊かな時空があるなって思い出している。
時間を計算するというのは、そろそろ社会的な結果を出さないとと思っていた時の発想で、時間を有効活用して長生きしたとしても、ずっと忙しくしているので過ぎ去る時間が早すぎて、すぐ死んでしまいそうに感じる。それより、時間の体感度を変えれば長生きしたような長い(豊かな)時間を得られるんじゃないかって。



自分が何者か分からない、自分がどこに居るのか分からないといった時に、時空が開ける気がした。

不安を感じない強さを身に付けたならば、行き先が決まっていない方が楽しいのかもしれない。







クラシック音楽と鳥たちの声、本当に見事に合う。
楽園を思い出した。

鳥たちの素晴らしさに、驚いている。


継続的にやりたいことは、世界の縮図を作ること。
20代の頃にフーガを書く勉強をしているときにそうしたいと思った。
音楽の中でもいいけど、庭や部屋でもいい。
出来れば全部。
1つにしたい。


他人の家の窓をずっと眺めるのは初めて。
この感じがなんなのか、まだ分からない。

何と繋がっているのか。
何に繋がっていくのか。



二人の家。
二人で生きる。

会う人会う人が喜んでくれてうれしい。

scriabin "Fantacy Op.28"


poemes d'un jour 250
雨が止んで、清々しい朝。

窓を開けると草木の匂い。

5月、6月と虫が家に入ってくる問題を考えていた。
ムカデが布団に入ってきたので、まず蚊帳を買いに行ってその中で寝るようにした。隙間を塞いだ。窓にハッカ油や家の周りにムカデコロリの設置などやった。それでも入ってくる。

ムカデはゴキブリを食べるから、ゴキブリが居なくなればムカデも居なくなるということが分かり、神経質になりすぎるくらいに掃除を徹底した。それでも小さいゴキブリの子供や蟻が入ってくる。

最近、ムカデもゴキブリの子供も出なくなった。
ムカデが家に入ってくるシーズンが終わりということもあるかもしれないけど、家にいるアシダカグモを大切に飼うことにしたからだと思う。

アシダカグモは巣を張らないタイプのクモで、大きいとネズミなどもなんでも食べるらしい。うちに居るのはまだ足を広げて10cmないくらいの大きさ。5月の始めに家に居たアシダカグモを外に出してしまって、それでその後、家の中に虫が出始めた気がしてきた。同じのか別のかは分からないけど、最近になって、アシダカグモがまた家に戻ってきてくれた。

アシダカグモが食べた虫のカスは特に見当たらないけど、あったとしても、抗菌液のようなものが注入されているらしくて、清潔らしい。すごい。ありがたい。

人間に出くわしたらすっと隠れてじっと動かなくなるので、住み分けも出来る。

そんなこんなで、害虫退治は、アシダカグモに任せた。
アシダカグモが全部の部屋を自由に行き来できるように扉を開けている。
もう殺虫剤は買わなくていい、窓も開ければいいと思う。


(山や庭にはモリチャバネゴキブリという家の中に入ってこない小さな森林性のゴキブリが居る。見た目も家の中に出てくるやつみたいな嫌な感じではない。ムカデは外でこのゴキブリを食べたらいいと思う)

関係ないけど、裏の家から「キャー」という悲鳴がたまに聞こえてくる。虫が出た時におばちゃんが悲鳴を発するらしい。ずっと住んで居ても慣れないのかな?と思いつつ、都度、何が出たのかも気になる。

鳥と虫とヘビと野良猫も何匹か居る。
生き物がたくさん居て賑やか。

poemes d'un jour 249
雨、大雨、心地よい。
遠くの雨も小さくサラサラ鳴っているのか、空間が開ているから、鳥の声同様、雨音で世界が開かれる。

山の自然リバーブと、フローリングの部屋の反響。
雨に包まれている。


雨が入り込んでこない窓は開けている。

耳が開かれると広い世界を感じる。
風も心地よい。




庭は一部水溜りが出来ているけど、通路だから問題ないか。



引越しのバタバタで色んなことが中断した。それを再開させるべく、まずブログを書くこと、ピアノの練習をやっている。今日は写真をスマホではなくカメラを使う練習をした。もっと自分で思うものを現実に出していかないと。結構妥協している...それが癖になっているのがまずいなと思う。

たくさんのことをやらないといけないので、1つ1つが深めれていない。
大人病かもしれない。

この頃、アーティストではない一般の人たちが、もっと深く想いを込めて手をかけて何かを作っているものを度々目撃する。

駅付近の川に設置されている七夕の飾りとか...。




これは数日前に撮った写真だけど、昨夜帰りに見たらイルミネーションも追加されていて、屋形船的な雰囲気がすごく良かった。


再び、もう一歩執着して、深めていけたらいいなと思う。




大大大雨。
庭の通路が池になっている。
どうしようもない。
高植えにしておいて良かった。





こっちのカメラの方が手間はかかるけど、なんだか安心した。

(このブログ、写真をクリックしない状態ではぼやけたサムネしか見えなくてそれも問題なんですが...)

さて、ピアノを弾こう。

poemes d'un jour 248
この家に来て、早起きの生活になった。
夜は眠すぎて書けないことが多いので、朝に書くことにした。

今朝は寒い。

庭に直線の朝日が差す。
東側が山で、たくさんの大きな木に覆われているので普段朝日は当たらないけど、うまい具合に木の葉の間から伸びた直線の光が差し込む時もある。

日々移り変わる木の葉の成長具合と太陽の高さのそれぞれの偶然の重なりで道が開かれる。
庭の植物がその朝日を浴びれるかどうかは成長具合にもよる。上に伸びた方が当たりやすい。コナラとアカマツは後方にあって背が高いから朝日を浴びているけど、とても気持ち良さそう。





昨日はゆったり過ごした。
二人とも休みなのは日曜日だけ。
日曜日がいちばん好きになった。





テウクリウム・ヒルカニカム。穂の花が長く立ち上がる植物は環境的に前の庭ではうまく育てられないものが多くて、このテウクリウムだけはとても丈夫で勝手に育つので重宝していた。ここでも快調。今のこの庭なら...前の庭でダメだったものも挑戦してもいいかも。


ウグイス、ずっとさえずりの練習をしている。
今日はカラスが多い。





出勤、今日は涼しい。
窓から眺めるだけでなく、もっと近くへ行ってみたい。



夜、帰宅中。
梅田乗り換えをしている、この世界ってなんなんやろうって思うこの頃。

どう生きたいか、もう少し深く考えておきたい。
poemes d'un jour 247
毎日、朝、起きたら、全部の窓を開ける、世界が開ける。

眠りと目覚めの間に光と鳥たちの声が混ざってきて、声の大きなヒヨドリとウグイスが近くで鳴いた時には完全に目覚めた日曜日。



この家に来た最初は、朝は動物園の鳥エリアに居る感じだなと思った。元々都会育ちなので、そういったイメージだった。だけど、近くから遠くの方まで、動物園の檻の範囲を超えていて、耳によって距離、広さや高さを感じていることが新鮮。船の音が海からだから、それより近いからあの辺りかな?とかそんな感じだと思う。

自然のリバーブがすごくて、面白い。

駅に行く途中に通るウグイスの住処は「ホケキョゾーン」と呼んでいる。ホケキョゾーンからの鳴き声も聴こえるし、家の裏山でもウグイスは鳴いている。

昨日は初めてヒヨドリの姿も見て嬉しかった。



涼しい朝。


職場まで天下茶屋までは1時間半、西田辺の日は天下茶屋からさらに自転車で20分かかるけど、もう遠さは感じなくなった。家でうっかり昼寝さえしなければ大丈夫そう。乗り換え時も結構熟睡してしまっているので危険だけど。


とても幸せ。

自分の感度が色々のバタバタで薄いので、それがまたもっと濃く色々感じれるようになればいいなとは思うけど、家や環境、何より自分にとって最高の旦那さんと歩むこと。

遠くに居た時は分からなかったけど、歩んできた道や根本的に脳の特性?も似ていることが分かり、構えずそのままの自分でいればいい。私は特殊型だと思っていたので、合わせずして合う人は居ないと思っていたけど、居たんやな。あと無垢な笑顔がとても素敵です。それだけでもいいくらい。

きっとどんな人でもどこかに合う人は居るんやなと思った。諦めとか妥協とかせずに、そのままの自分で居たらいいような気がする。ぱっと見分からなかったけど、他人や自分への偏見や決めつけなど取り去れば、自分たちの範囲を超えた縁のようなものが自然同士を結びつけてくれるのかも。


周りも入籍ラッシュで嬉しいです。


あと友達が何人か私の幸せを自分のことのように喜んでくれていて、いい友達をもったなと思った。感動した。一人の時は、一人で生きていかないといけないという覚悟が強すぎて、友達の存在もあまり感じにくかったのかもしれないけど、今回それも変化したかも。素敵な友達が居る幸せも感じた。普段、誰ともご飯やお茶したり遊んだりしていないから友達は特に居ないと思ってしまうけど、お互いの大切な時を一緒に過ごした人とはそんなことして仲を継続させようとしなくてもずっと友達なんやなって思った。




庭は怒涛の植え付けがほぼ終わり、少し休憩している。
ここ2〜3日はちょっと草取りをする程度。
みんなメキメキ成長している、特に野菜の成長速度にはびっくり。


それにしても、ふと聞こえてくる初めての鳥の声、なんの鳥なのかが気になる。


長くなってきた。
庭仕事が落ち着いて、またピアノの修行をやっている。
楽しい。

私は人より出来ない子。
20代の頃に「そんなのも弾けないの?」とよく言われて、みんなそんなの簡単に弾けるんやって初めて知った。正直、驚いた。今もネットなどでたまに何年生で何々を弾いてるとかピアノ歴5年で「速い人はこれくらい」「普通はこれくらい」「遅い人でもこれくらい」とか見ると、私はその遅い人よりさらに遅くて驚く。みんな能力があるんやな。もしくは、私はどこかが欠けているんやなと。

それでも落ち込まず、自分の特性を分析しながら、淡々とやっているのは、出来ない自分が出来るようになることは、普通の人が出来るようになるより価値があると思うから。出来ない生徒さんを出来るようにしてあげれる。それで、昔に比べると色々出来るようになった。


一番重要なのは、出来る出来ないではなく、やりたいかやりたくないかやねんな。

やる気のあることをすればいいんだという結論。
今まで通り、その時、その時、熱いことをやろう。
それが一番、すんなり人生が進むだろう。

近年は常に何かしらにやる気がある。
だから毎日楽しい。

poemes d'un jour 246
一昨日は天下茶屋でピアノ教室が出来なくなるかもしれなくなっていた。昨日、今日と行ってみれば、何事もなかったかのような雰囲気になっていたので、今後も続けれそうです。だけど、それで実感したのは、天下茶屋は親の家であって、私の生命の存続が親の許可で決まるものなんだなということ。

急に職を失う可能性がある出来事から、職関連だけでなく、人生の最後までを想像してしまった。

自分が何が大切なのか、どう生きたいのかをまた再確認した。

純粋な愛が一番大切だなって思った。



人、庭、音楽。



自分の未来はできる限り自分で決めれるのがいいので、やはり塩屋教室をスタートさせたいなって思った。

勉強意欲が湧いてきたので、またしばらくクラシックピアノの修行期間にしようと思った。

演奏も、先生としても、もう一段階レベルアップしたい。



音楽活動はなんだか疲れたし。

今はクラシックピアノの方が純粋にワクワクする。
私は演奏を人に聴いてもらいたいわけでもないねんな。

音楽と対話する。
それが面白い。

今はまだ人前だと、色々気にかかって、純粋に没頭できないしな。
家でマイペースに練習する時が一番楽しいには違いない。


それでも、最終的には、外に発表したい。
それは、死ぬ間際くらいでも良くて。
今でもいいけど。
どっちでもいいです、とにかくあまり重要ではないということ。
疲れなければいいねんけど、疲れるならやめとくかなという感じ。

植物や生徒さんと同じで、自分の成長観察が好きなのかな。
見てもらいたいというより、見たいねんな。

育てたいねんな。





いろんなものを育てたい。


自分で自分を育てる。


poemes d'un jour 245
みんなに祝福してもらえて、よかった。



二人で氏神様へ挨拶に行った。
バタバタしていたのでゆっくり近所を歩くのは久しぶりだった。

家から歩いて5分くらいの所に神社があった。
谷の向こう。
そこから家の方を見たら、世界が広がった。

鳥たちの声が違って聞こえた。



私たちは何も変わらないと思ったけど、今日の私は少し変化しているように感じた。
慣れてきた家が、また旅先のような新鮮さで、または非現実空間のように感じた。

空気の感じか、光の感じか、何か初めてで懐かしい。
目の前の人も、初めてで懐かしかったかもしれない。

そんな感じが私はとても好きで、だからたくさん休みたい。
外でたくさん働くと、そんな感じにはならない。


冒険しよう。

この世界の向こう側、不思議な世界。