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poemes d'un jour 235
春になって、ウグイスが鳴いて、私がそれを聴いて、私はそれをここに書いて、読んだ人の誰かが何かを思って、その人からまた他の人に何かがと、日々は続いていく。


曇りだけど、ウグイスの声の響きが空間を突き抜けていて、解放される。

下の空き家の野良猫3兄弟もよく姿を現すようになった。
毎年、世代交代しながら、3匹くらい生まれている。
みんな模様が違う。
今年は1匹、外国の血統書付きみたいなふわふわのがいる。


引越し見積もり、庭の木の根巻き&植え替え見積もり、昨日はそんな日だった。

庭も、一応、全部持っていけることは分かった。



木っていう生き物。
どう捉えたらいいんやろう。

育てている植物=愛着
風景、家の遮熱、木材=利用

野菜も育てたら食べるし、殺すと言えば殺す。

命をありがたく戴いている。って人間は(勝手に?)思う。

家具や家も木で出来てる、ありがたく使わせて戴いている。

必要ならば、他の命を断つのは仕方ない?

だけど、次の家に引っ越すから、そのあとに住む人に迷惑になるから切って出ていくという理由はどうなんやろな。



勝手な考えかもしれないけど、
衣食住だけが「必要なこと」ではなくて。
私には木を植えることが必要だった。
木の生命力を感じて一緒に生きる。

コロナによるライブハウス自粛の流れも同じく、必要のない人には、必要ないのにって言われるけど、必要な人には必要。身体が健康なら生きていけるというのではなく、心が不健康で自殺する人もいるように。


気がつかないほどの小さな生き物は、殺しても心を病みにくい。あとは正当化されている「切り花」「害虫退治」など。逆に、人間や犬猫を殺せば、心は病む、非難を浴びる。

命は同じだと思うけど、心を通わせているかいないかの違いかな。

結局、悪いように言えば自分勝手となるし、自分を中心に物事を考えること、それが自然とも言えるかな。生存競争的な本能...。



自分の好みと次に植える場所の条件などで、持っていくもの、伐採していくものを決める。

当たり前ではないので、自分の意志や気持ちをはっきりさせないと出来ないなと思って、書いている。



今、もう1社、引越しの見積もりが終わった。
決めた。

家荷物(エアコン作業も含む)と、庭の植物でトラック2台、税込9万円。結構かかったけれど、どの引越し屋さんでも、塩屋の町には引越しトラックが入れなくて途中から赤帽や軽トラを呼んで来て追加料金がかかる可能性があると言われ、気持ちが不安に。山なので、さらに道から家に着くまでに階段もあるし。それで、不安を解消すべく追加料金なしでやってくれる所にした。人力作戦でやるらしい。

今日の業者さんの人、先日、塩屋の旧グッゲンハイム邸の近くの引越しを担当したばかりらしく、トラックが全く入れなくて、ぐるぐるして、結局追加料金もらったとのことで、話が早く通じてよかった。

人力作戦。
大変だと思うけど、頑張ってほしい。
なんとかなってよかった。



木とピアノはこれとは別で運ぶので、引越し料金総額は20万円を越しそうです。
消費税が高いな...て思った。
引越し祝い(結婚祝い?)を貰えたので、なんとかなった。



いつでもなんとかなるものだ。

なんとかなるよ。



明後日、塩屋の旧グッゲンハイム邸でライブです。

時の流れの中で生きている。