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poemes d'un jour 240
(4/6に書いていたもの)

桜も咲いて、春。少し寒い。瓢箪山の庭仕事と、塩屋の庭仕事をやっている。どちらも大変で、間に合うのかどうか心配だけど、やれば終わりが少しずつ見えてくる、心配が減ってくる。



昨日は二人で塩屋に行った。着いたら大家さんが山の部分に居た。山の土が肥えてるから、庭に降ろしてくれていた。大家さんはすごく気さくで友達同士のような感覚で話してくれた。海の男、山の男というようなワイルドなおっちゃん、庭にあった大きな流木やら石やらは海から拾ってきたとのことで、すごいなって思ったけど、少し離れたところのマツの木も「海が見えるように」と木登りして剪定してくれたらしい。「それでいいのか?笑」というその大雑把な切り方は見てて楽しい気分になった。




素敵な笑顔。それだけで幸せ。私が少し疲れやすくなっていることもあり、今回も重い石の移動など力仕事は全部やってくれた。次の日も身体疲れてないって、すごく頼もしい。

家族感、出てきた気がする。

二人家族。

目の前の一人を大切にすることなら、できそうな気がする。
一人しか居ないから優先順位とか迷わなくて良いし。


ややこしいの苦手やねんな。


盲目になれたら幸せなんやなって最近感じた。
大人になって、冷静な物の見方に頭が支配されることが多くなって、楽しくなくなった。
大人なんだからいつでもできる限り正しく存在していないと...とどこかで思っていたみたい。

歌うときも、もっと盲目になって歌えば幸せなんやろう。
もうまた今の自分はあまり歌いたくない。
世間の色々で気が散って、歌う気がしない。

自分の人生に集中するのが良いなって思う。

小さな暮らしを。


塩屋の街は、町の人同士がみんな知り合いみたい。食堂へ行けば、入ってくる人が皆、先に居る人と話していた。年齢問わず、友達同士のように冗談を言い合っていた。大家さん周辺では、物々交換、要らないものを誰かに譲るなども行われていた。この街だけで、成り立つというか、万一お金がなくなっても、きっとしばらくは生きれる感じだなって思った。近所の人が野菜をくれたりしそうだ。先日、財布を忘れたときも、コンビニのおばちゃんがコーヒーをタダでくれようとしたし。そんな街なんやな、多分。


瓢箪山のbar HOWS周辺の感じと似たようなところがあってなんか嬉しかった。