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poemes d'un jour 247
毎日、朝、起きたら、全部の窓を開ける、世界が開ける。

眠りと目覚めの間に光と鳥たちの声が混ざってきて、声の大きなヒヨドリとウグイスが近くで鳴いた時には完全に目覚めた日曜日。



この家に来た最初は、朝は動物園の鳥エリアに居る感じだなと思った。元々都会育ちなので、そういったイメージだった。だけど、近くから遠くの方まで、動物園の檻の範囲を超えていて、耳によって距離、広さや高さを感じていることが新鮮。船の音が海からだから、それより近いからあの辺りかな?とかそんな感じだと思う。

自然のリバーブがすごくて、面白い。

駅に行く途中に通るウグイスの住処は「ホケキョゾーン」と呼んでいる。ホケキョゾーンからの鳴き声も聴こえるし、家の裏山でもウグイスは鳴いている。

昨日は初めてヒヨドリの姿も見て嬉しかった。



涼しい朝。


職場まで天下茶屋までは1時間半、西田辺の日は天下茶屋からさらに自転車で20分かかるけど、もう遠さは感じなくなった。家でうっかり昼寝さえしなければ大丈夫そう。乗り換え時も結構熟睡してしまっているので危険だけど。


とても幸せ。

自分の感度が色々のバタバタで薄いので、それがまたもっと濃く色々感じれるようになればいいなとは思うけど、家や環境、何より自分にとって最高の旦那さんと歩むこと。

遠くに居た時は分からなかったけど、歩んできた道や根本的に脳の特性?も似ていることが分かり、構えずそのままの自分でいればいい。私は特殊型だと思っていたので、合わせずして合う人は居ないと思っていたけど、居たんやな。あと無垢な笑顔がとても素敵です。それだけでもいいくらい。

きっとどんな人でもどこかに合う人は居るんやなと思った。諦めとか妥協とかせずに、そのままの自分で居たらいいような気がする。ぱっと見分からなかったけど、他人や自分への偏見や決めつけなど取り去れば、自分たちの範囲を超えた縁のようなものが自然同士を結びつけてくれるのかも。


周りも入籍ラッシュで嬉しいです。


あと友達が何人か私の幸せを自分のことのように喜んでくれていて、いい友達をもったなと思った。感動した。一人の時は、一人で生きていかないといけないという覚悟が強すぎて、友達の存在もあまり感じにくかったのかもしれないけど、今回それも変化したかも。素敵な友達が居る幸せも感じた。普段、誰ともご飯やお茶したり遊んだりしていないから友達は特に居ないと思ってしまうけど、お互いの大切な時を一緒に過ごした人とはそんなことして仲を継続させようとしなくてもずっと友達なんやなって思った。




庭は怒涛の植え付けがほぼ終わり、少し休憩している。
ここ2〜3日はちょっと草取りをする程度。
みんなメキメキ成長している、特に野菜の成長速度にはびっくり。


それにしても、ふと聞こえてくる初めての鳥の声、なんの鳥なのかが気になる。


長くなってきた。
庭仕事が落ち着いて、またピアノの修行をやっている。
楽しい。

私は人より出来ない子。
20代の頃に「そんなのも弾けないの?」とよく言われて、みんなそんなの簡単に弾けるんやって初めて知った。正直、驚いた。今もネットなどでたまに何年生で何々を弾いてるとかピアノ歴5年で「速い人はこれくらい」「普通はこれくらい」「遅い人でもこれくらい」とか見ると、私はその遅い人よりさらに遅くて驚く。みんな能力があるんやな。もしくは、私はどこかが欠けているんやなと。

それでも落ち込まず、自分の特性を分析しながら、淡々とやっているのは、出来ない自分が出来るようになることは、普通の人が出来るようになるより価値があると思うから。出来ない生徒さんを出来るようにしてあげれる。それで、昔に比べると色々出来るようになった。


一番重要なのは、出来る出来ないではなく、やりたいかやりたくないかやねんな。

やる気のあることをすればいいんだという結論。
今まで通り、その時、その時、熱いことをやろう。
それが一番、すんなり人生が進むだろう。

近年は常に何かしらにやる気がある。
だから毎日楽しい。