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poemes d'un jour 249
雨、大雨、心地よい。
遠くの雨も小さくサラサラ鳴っているのか、空間が開ているから、鳥の声同様、雨音で世界が開かれる。

山の自然リバーブと、フローリングの部屋の反響。
雨に包まれている。


雨が入り込んでこない窓は開けている。

耳が開かれると広い世界を感じる。
風も心地よい。




庭は一部水溜りが出来ているけど、通路だから問題ないか。



引越しのバタバタで色んなことが中断した。それを再開させるべく、まずブログを書くこと、ピアノの練習をやっている。今日は写真をスマホではなくカメラを使う練習をした。もっと自分で思うものを現実に出していかないと。結構妥協している...それが癖になっているのがまずいなと思う。

たくさんのことをやらないといけないので、1つ1つが深めれていない。
大人病かもしれない。

この頃、アーティストではない一般の人たちが、もっと深く想いを込めて手をかけて何かを作っているものを度々目撃する。

駅付近の川に設置されている七夕の飾りとか...。




これは数日前に撮った写真だけど、昨夜帰りに見たらイルミネーションも追加されていて、屋形船的な雰囲気がすごく良かった。


再び、もう一歩執着して、深めていけたらいいなと思う。




大大大雨。
庭の通路が池になっている。
どうしようもない。
高植えにしておいて良かった。





こっちのカメラの方が手間はかかるけど、なんだか安心した。

(このブログ、写真をクリックしない状態ではぼやけたサムネしか見えなくてそれも問題なんですが...)

さて、ピアノを弾こう。

poemes d'un jour 248
この家に来て、早起きの生活になった。
夜は眠すぎて書けないことが多いので、朝に書くことにした。

今朝は寒い。

庭に直線の朝日が差す。
東側が山で、たくさんの大きな木に覆われているので普段朝日は当たらないけど、うまい具合に木の葉の間から伸びた直線の光が差し込む時もある。

日々移り変わる木の葉の成長具合と太陽の高さのそれぞれの偶然の重なりで道が開かれる。
庭の植物がその朝日を浴びれるかどうかは成長具合にもよる。上に伸びた方が当たりやすい。コナラとアカマツは後方にあって背が高いから朝日を浴びているけど、とても気持ち良さそう。





昨日はゆったり過ごした。
二人とも休みなのは日曜日だけ。
日曜日がいちばん好きになった。





テウクリウム・ヒルカニカム。穂の花が長く立ち上がる植物は環境的に前の庭ではうまく育てられないものが多くて、このテウクリウムだけはとても丈夫で勝手に育つので重宝していた。ここでも快調。今のこの庭なら...前の庭でダメだったものも挑戦してもいいかも。


ウグイス、ずっとさえずりの練習をしている。
今日はカラスが多い。





出勤、今日は涼しい。
窓から眺めるだけでなく、もっと近くへ行ってみたい。



夜、帰宅中。
梅田乗り換えをしている、この世界ってなんなんやろうって思うこの頃。

どう生きたいか、もう少し深く考えておきたい。
poemes d'un jour 247
毎日、朝、起きたら、全部の窓を開ける、世界が開ける。

眠りと目覚めの間に光と鳥たちの声が混ざってきて、声の大きなヒヨドリとウグイスが近くで鳴いた時には完全に目覚めた日曜日。



この家に来た最初は、朝は動物園の鳥エリアに居る感じだなと思った。元々都会育ちなので、そういったイメージだった。だけど、近くから遠くの方まで、動物園の檻の範囲を超えていて、耳によって距離、広さや高さを感じていることが新鮮。船の音が海からだから、それより近いからあの辺りかな?とかそんな感じだと思う。

自然のリバーブがすごくて、面白い。

駅に行く途中に通るウグイスの住処は「ホケキョゾーン」と呼んでいる。ホケキョゾーンからの鳴き声も聴こえるし、家の裏山でもウグイスは鳴いている。

昨日は初めてヒヨドリの姿も見て嬉しかった。



涼しい朝。


職場まで天下茶屋までは1時間半、西田辺の日は天下茶屋からさらに自転車で20分かかるけど、もう遠さは感じなくなった。家でうっかり昼寝さえしなければ大丈夫そう。乗り換え時も結構熟睡してしまっているので危険だけど。


とても幸せ。

自分の感度が色々のバタバタで薄いので、それがまたもっと濃く色々感じれるようになればいいなとは思うけど、家や環境、何より自分にとって最高の旦那さんと歩むこと。

遠くに居た時は分からなかったけど、歩んできた道や根本的に脳の特性?も似ていることが分かり、構えずそのままの自分でいればいい。私は特殊型だと思っていたので、合わせずして合う人は居ないと思っていたけど、居たんやな。あと無垢な笑顔がとても素敵です。それだけでもいいくらい。

きっとどんな人でもどこかに合う人は居るんやなと思った。諦めとか妥協とかせずに、そのままの自分で居たらいいような気がする。ぱっと見分からなかったけど、他人や自分への偏見や決めつけなど取り去れば、自分たちの範囲を超えた縁のようなものが自然同士を結びつけてくれるのかも。


周りも入籍ラッシュで嬉しいです。


あと友達が何人か私の幸せを自分のことのように喜んでくれていて、いい友達をもったなと思った。感動した。一人の時は、一人で生きていかないといけないという覚悟が強すぎて、友達の存在もあまり感じにくかったのかもしれないけど、今回それも変化したかも。素敵な友達が居る幸せも感じた。普段、誰ともご飯やお茶したり遊んだりしていないから友達は特に居ないと思ってしまうけど、お互いの大切な時を一緒に過ごした人とはそんなことして仲を継続させようとしなくてもずっと友達なんやなって思った。




庭は怒涛の植え付けがほぼ終わり、少し休憩している。
ここ2〜3日はちょっと草取りをする程度。
みんなメキメキ成長している、特に野菜の成長速度にはびっくり。


それにしても、ふと聞こえてくる初めての鳥の声、なんの鳥なのかが気になる。


長くなってきた。
庭仕事が落ち着いて、またピアノの修行をやっている。
楽しい。

私は人より出来ない子。
20代の頃に「そんなのも弾けないの?」とよく言われて、みんなそんなの簡単に弾けるんやって初めて知った。正直、驚いた。今もネットなどでたまに何年生で何々を弾いてるとかピアノ歴5年で「速い人はこれくらい」「普通はこれくらい」「遅い人でもこれくらい」とか見ると、私はその遅い人よりさらに遅くて驚く。みんな能力があるんやな。もしくは、私はどこかが欠けているんやなと。

それでも落ち込まず、自分の特性を分析しながら、淡々とやっているのは、出来ない自分が出来るようになることは、普通の人が出来るようになるより価値があると思うから。出来ない生徒さんを出来るようにしてあげれる。それで、昔に比べると色々出来るようになった。


一番重要なのは、出来る出来ないではなく、やりたいかやりたくないかやねんな。

やる気のあることをすればいいんだという結論。
今まで通り、その時、その時、熱いことをやろう。
それが一番、すんなり人生が進むだろう。

近年は常に何かしらにやる気がある。
だから毎日楽しい。

poemes d'un jour 246
一昨日は天下茶屋でピアノ教室が出来なくなるかもしれなくなっていた。昨日、今日と行ってみれば、何事もなかったかのような雰囲気になっていたので、今後も続けれそうです。だけど、それで実感したのは、天下茶屋は親の家であって、私の生命の存続が親の許可で決まるものなんだなということ。

急に職を失う可能性がある出来事から、職関連だけでなく、人生の最後までを想像してしまった。

自分が何が大切なのか、どう生きたいのかをまた再確認した。

純粋な愛が一番大切だなって思った。



人、庭、音楽。



自分の未来はできる限り自分で決めれるのがいいので、やはり塩屋教室をスタートさせたいなって思った。

勉強意欲が湧いてきたので、またしばらくクラシックピアノの修行期間にしようと思った。

演奏も、先生としても、もう一段階レベルアップしたい。



音楽活動はなんだか疲れたし。

今はクラシックピアノの方が純粋にワクワクする。
私は演奏を人に聴いてもらいたいわけでもないねんな。

音楽と対話する。
それが面白い。

今はまだ人前だと、色々気にかかって、純粋に没頭できないしな。
家でマイペースに練習する時が一番楽しいには違いない。


それでも、最終的には、外に発表したい。
それは、死ぬ間際くらいでも良くて。
今でもいいけど。
どっちでもいいです、とにかくあまり重要ではないということ。
疲れなければいいねんけど、疲れるならやめとくかなという感じ。

植物や生徒さんと同じで、自分の成長観察が好きなのかな。
見てもらいたいというより、見たいねんな。

育てたいねんな。





いろんなものを育てたい。


自分で自分を育てる。


poemes d'un jour 245
みんなに祝福してもらえて、よかった。



二人で氏神様へ挨拶に行った。
バタバタしていたのでゆっくり近所を歩くのは久しぶりだった。

家から歩いて5分くらいの所に神社があった。
谷の向こう。
そこから家の方を見たら、世界が広がった。

鳥たちの声が違って聞こえた。



私たちは何も変わらないと思ったけど、今日の私は少し変化しているように感じた。
慣れてきた家が、また旅先のような新鮮さで、または非現実空間のように感じた。

空気の感じか、光の感じか、何か初めてで懐かしい。
目の前の人も、初めてで懐かしかったかもしれない。

そんな感じが私はとても好きで、だからたくさん休みたい。
外でたくさん働くと、そんな感じにはならない。


冒険しよう。

この世界の向こう側、不思議な世界。



poemes d'un jour 244
本日、長野雅貴さんと入籍しました。











私たちは今までと何ら変わりないけど、公の関係になるってことなんや。

なので、皆さんの反応のおかげで、結婚したんだなって感じられる。

人付き合いはなかなか億劫な私ですが、雅貴くんを通して、自分も変化していく気がする。

何より、祝福してくださる皆様のおかげで、気楽に、幸せな気持ち。
ありがとうございます。



ようやくここまでたどり着いた。
作り続けることが大切だなって思った。
作品とかだけの話ではなく、家や庭、関係、自分自身の何か。
すぐ完成して終わりじゃなくて、ずっと取り組めるものがあるのが幸せやな。


作ることが愛の行為なのかな。
見続けたい、見続ける。


大勢の役に立つ人間じゃなくてもいい。
まず、たった一人を幸せにしたい。
それだけでも、十分やなって前から思っている。
それだけでも、すごいことやなって思う。


私は姓が変わったけど、呼び方は今までと同じでもどっちでもいいです、
これからもどうぞよろしくお願いします。



poemes d'un jour 243


青いアジサイ、いいな。



水色のアジサイもいいな。



自然界は毎日変化が起こる。
だから安心する。

空気の流れ、気の流れ、時間の流れ、

朝の鳥の鳴き声に耳を傾けると興味が尽きなく、それだけで1日が終わってしまいそう。

今日はレッスンで西田辺まで行ったけど、途中の道に、ムクドリの集団が止まる街路樹があるのは知っていて鳥たちが騒いでいたけど、少し離れたところでは何種類かの他の鳥の声も聴こえた。今までは聴こえなかったのに...。街中にも鳥は結構いるんやな。道路の車などの音でかき消されている分はあるにも、それより耳が注目していなかっただけで、居ないと思い込んでいたんだなと思った。

先週か先々週か、同じく西田辺の地下鉄御堂筋線が通っている上の交通量の多い道路脇の街路樹で、一羽の(おそらく)ムクドリが土の中からコガネムシか何かの幼虫を捕まえて咥えていたのも目撃した。その時、ちょうど毛虫を食べてくれる鳥を調べていて「ムクドリが食べるんやー」と分かった直後で、まさか街中ですぐにその現場を見れるとは思っていなかった。

自分が注目するかしないかで、世界が変わる。

それは前から知っているけど、鳥の件で、体験としてとてもリアルに実感した。


好きな世界を作る。


世界が社会がどうであれ、私は自分の思う楽園を作ろう。


少し晴れが続くので、仕事前、休みの日は庭仕事。

鳥の声を聴いたり、虫を観察しながら。

それだけで精神的には本当に生きていけるなって。

色んな鳥や虫や山の木の名前、分かるようになりたい。
数年間かかるやろうから、その間、多分、ずっと楽しい。





poemes d'un jour 242
久しぶりに書く。引越しをして1ヶ月以上経ったけれど、新しい自分の部屋の椅子に座ったのは今日が初めて。季節は待ってくれないから先に庭仕事などをやっている。植物たちも一緒に引っ越してきたのでなるべく涼しいうちに植えてあげないと。まだ終わったわけではないけれど、6月中には植え付けが終わりそう。だから少し気持ちが落ち着いたのかもしれない。

今日は雨がたくさん降った。
雨の日は家が雨音に包まれて孤立した島に居るような心地。
ピアノを弾いたり、音楽を聴いても、近所を気にしなくていい。
だから、ピアノを弾いて、音楽を聴いている。

スクリャービンのプレリュードOp.11の1番、2番、13番、18番、22番、24番を少しずつ練習した。

今書いている、自分の部屋には、大きなアシダカグモが居る。
蜘蛛は益虫だから、共存することにした。





6月の花嫁になる。

書類などを準備中。
一緒に暮らして1ヶ月半経つけど、自然すぎて実感がない。

苗字が変わるのは実感が湧きそう。

こちらの街では、既に奥さんと言われている。
長野さんですかと言われたら、「いえ、辰巳です」と言ってしまう。
あとで「(ああ、長野でもよかったのか...)まだ辰巳なんです」と言っている。

まあ、どっちでもいいけど。


ご飯や家事も大体半々で、仕事が休みの人または疲れてない人がやるという感じで、フェアな感じで良い。

野菜を育ててご飯に使う。
半自給自足の暮らしは既に出来つつある。
早い!
大家さんが色々植えてくれていたから。

二人暮らし、特に問題なさそう。
何でも心から協力し合っている。





住んでいるのは山だけど、駅が海のすぐ側にあるから電車の窓から写真を撮ったらこんな感じ。
駅から徒歩10分くらいなので、海も山もあって、毎日色々感じれる。

海風、山風。
潮の匂い、山の匂い。

書きたいことはたくさんあるけど、何から書けば...という感じなので、とりあえず、何でも良いからまた毎日書くようにしたい。





鳥がたくさんやってくる梅雨。
庭の藁をついばむスズメたちが本当にかわいい。

少し近づいたらすぐに向かいの家の屋根の上に避難して、少し離れたらまた庭に降りてきて食べている。

それを二人で一緒に見ているだけで、何とも幸せだなと思いました。



久しぶりに自分の部屋に居て聴いた音楽は、ピアソラとバッハだった。
バッハもまた練習したい。