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poemes d'un jour 102
ますます遠い蝉の声、曇り。寂しい。愛着。私の愛着は病的なのかもしれない。でも、それでも良くって。どんなにそこに心を奪われて行っても、生きれているなら、なんの問題もないのです。引き裂かれる痛みは、なんども経験しているのです。それでも生きて来れたのです。その度に、深まって。私は恐がらずに、愛してしまうのです。

実家のテレビでDNAなど人間の機能の番組がかかっていて見ていた。DNAの螺旋構造は25歳くらいの時には、世界のイメージとして朧げに浮かんでいて。何かあるたびにその形が浮かんできていて、27歳くらいかに「あ、DNAだ」って思った。自分の中で、印象的な存在。なぜか少し薄紫なんですが。それは置いておいて。

生きている間にもDNAが書き換えられるというものだった。
やっぱりそうやんなって思いました。
私は昔の私とまるで違う。

宇宙に行った人が、9000以上もDNAスイッチが切り替わった(新たな環境に対応するために勝手に)という実験結果が出ていたけど、私も1000くらいはスイッチが切り変わったと思う。数字は適当。それを変えてきたような気がする。

危険なことに出会うたびに。
未知のものに出会うたびに。
挑戦するたびに。
時代背景を感じるたびに。
色んなものと同調するたびに。

今後もどんどん書き換えられていく。

アイデンティティもなくって。

ただ存在だけがあって。

言語はどんどん良くわからなくなってきたけど。
感覚を優先するようにしたから。


プラゴミを出した。

外に行きたいな。
外で、即興したい。

何がしたいはないけど。
寝転んで、場を感じたい。

座って聞くスタイルに少し疑問を抱いた。

座っているから、現実とイメージがバラバラになるのではないか。
自由に動けたら、もっと自然なのではないか。

所謂現実とは、身体のことなのかもしれないなって。

脳も身体なんですが。

脳内世界は、現実とは言ってもらえないですよね。
それが前からおかしいとは思っているのですが、そんな世間を受け入れるとしたら、現実は身体なんだって。

次のワークショップまでに、淡々と、未知の可動域を広げておこうって、ゴミ出ししながらも身体が勝手にやっていた。

椅子への愛着は、立っている時間より、寝ている時間より、椅子に座っている時間が長い人生だからかも。

椅子が自分の身体の一部のように感じる。

でも、よそのたくさん並んでいる椅子はそうではないのです。

何かが分断されている。

たった1つの私の椅子に愛着があるのです。

私の家の中で聴く蝉の声に愛着があるのです。

音だけじゃなくて、音以外のものが、ここにはあるのです。


その感じ。


ごく抽象的な感じ。
poemes d'un jour 101
今朝、書いたけど、バタバタしていて公開しなかった。
そういう時は、また一から新しいことを書いてる、いつも。

即興演奏のこと、考えていて。
最早、演奏に限らなくても、即興表現で良いのですが。
始めたばかりのダンスも違和感ないし。


即興っていうのは、自分のソロ曲とかじゃなくて、誰か、人とやるもので、バンドでもなくて、そういう空間で何がしたいのかということから考えていて。

本心は、ただそこに居たくて、誰かと話したくて。居て初めて何をしたいか出てくるのだと思う。だから、まだ何も起こっていない今、やりたいことは特に無いかも。でも、始まったら自動的に動いていく。即興だからとかは何もなくて、いつもの感じで居たいのです。話をするように、ブログを書くように、そんな私で居たいのです。

昔は、一人でずっと多重録音をしていて、自分の声を何本か重ねていた。コーラスではなくて、合いの手みたいに、隙間に。その時は無意識だったけど、誰かと話したかったのです。歌詞というわけではないけど、その録音の中で言っていたことは「話し相手が欲しい、音楽でもなんでも良い」みたいなことだった。英語に直していたので、意味は忘れたまま言っていたけど、そういうことなんだと思う。

それでも、より楽しめるように、楽しんでもらえるように、今日はいくつかアイディアを出してみたりはした。



少し元気ない。
最近、すっかり人と話す私になった。
話している時は元気。
何かしている時は元気。



あまり、音楽の話や考え事をすると、自分より音楽が大切なような気がして、切ない。

いつもみたいに、出来るだけどうでも良い日常のことを書きたい。


眠いだとか。

お腹が空いただとか。

自分自身の身体?本能?を感じれることを。


表現がしたくて生まれてきたわけではなくて、生きてきた道筋にピアノや音楽や表現があって。音楽は小さい頃からずっとやっているから毎日昇る朝日のように当たり前でもあるけど、それは忘れたくないです。嬉しいことがあって、幸せな気持ちになったり、辛いことがあって悲しい気持ちになって、やりきれなくて、歌ったり。最初に何かを感じた、何かの気持ちがあったと思うんです。だから、何もない時は、何も表現しなくて良いのです。ただの空のようで、海のようで、空気で良いのです。

そして、誰かと一緒に居て、何かを感じたとしたら、勝手に生まれていく。望みが。
人ではなく、物に感じたりもあります。
ただ自然同調していくので、物を感じれば、物を擬人化するか、私が物のようになるか、そのようになることが多い。

またそこから始めてみて、色んなものを感じていって、それが積み重なって、私になっていく。



結局、ただそのままというだけ。

出来るだけ、そのままで居れるように、余計なことはせず、考えず、やりたいってことです。

感覚的に。



何も説明できなくて良いのです。
そのままが出れば、伝わるだろうと思うのです。

共通のその域に行く。

少し深いところ。


自分にしかできないことって、そういうとこかなって。



最近も3人くらいに「深い」って言われて。
自分ではそんなに深くなくて、もっと深い場所があるんですが。

深海に光の道を作って、私が居る場所、みんなに見えるようにしたい。

ただの真っ暗なひとりぼっちじゃなくて。

だから、もう一度、潜ってみようかなって。
宝探し気分で。


私の音が聴こえるだろうか。


誰か探しに来てくれないかな。
poemes d'un jour 100
山の上に満月、
家の屋根の上に満月、
電線と電線の間に満月、
1つのヘッドライトと満月、
野良猫と満月、
2つのヘッドライトと満月

今日は満月なのかな?
目が悪くて、とても丸く見えた。

読み手が追いつけないくらい、書いてる。


コンテンポラリーダンスのワークショップ2回目。今日は来るって言っていた人が2人来れなくて、私一人だった。マンツーマンの贅沢なワークショップで最初少し緊張しかけたけど。先生の誘導で、上手く身体がほぐれた。動き出すと何かに導かれるように、動いていく。

新しいことをした。

造形美。

私は「形」が好きなので、数字や図形に命や美しさを感じる。植物もそうだし。フォルムと言うものは、迫ってくる。それを自分の身体でやるのは少し恥ずかしくもあり、だけど、手だけでやっている時は、粘土細工を作っているかのように夢中になった。身体全体だとまだ難しかった。

歩いた。
歩くこと。昨日は、ひたすら長距離を歩いている人に会った。奈良から三重県まで歩いたらしい。うちの近くも歩いたらしい。山歩きなのかな?私は、今日は、部屋から出て、丘を登り、星空を歩いた。歩いたところが星になった。イメージの世界だけど。雪の中も歩きたいなって思った。

椅子を使った。

椅子に対する愛着を感じた。もっと手放しても良かったんだと後になって思ったけど、椅子と離れたくなかった。

何も考えないで良い時は、身体が勝手に動く。目も瞑りたいし、自分を忘れている。その感覚が一番気持ち良い。何かをしなければいけないと思うと、難しかった。両方出来るようになったら良いのかもしれませんが。

本質的には、私は感覚派なんだなと、改めて実感しました。
無意識が自分の主軸。

椅子からの流れで途中で先生も入ってきて、空気が変わった。
ここからレッスンじゃなくてセッションなんだと。



すごく面白かった。

いつか人前で踊れるようになるかな?

それを目標に、続けます。
昔からやりたかったダンスがやれているなんて、すごく幸せです。
飛び込んだ、そして続ける限り、可能性はあるのです。

もうリタニセッションとか準人前な場所でやってみていけば良いと思います。
実践ってすごいから。


色んな人の動きを研究しようかと一瞬思ったけど、やめとこうってすぐに思った。今のほぼ真っ白な自分ってすごく貴重だと思うから。人の研究は後でも良い。自分がどうなるのか、身体に従ってみたい。Mujika Easelを始めた時のように。数年間、人からはそんなに受けなくて良いかなって。一緒にやってる人の自然な影響は自然に受けて良いと思います。自分の中の「ダンス」というものを大切にしたいっていうこと。

あとはやっぱり異ジャンルからインスピレーションを受けると思う。造形美と言えば、先日見た小山さんの映像。ただのありふれた物が途轍もない存在感を持って、移動していた。



毎日、夜になると、私の窓辺にはヤモリが張り付いていて、そこに来た虫を食べている。今、来た。結構大きい虫も一瞬で捕まえて食べている。家の明かりに虫が寄ってくるのかもしれない。だから、窓なのかも。

今夜はどんな虫を食べれるのだろう...



poemes d'un jour 99
電車に揺られている。寝不足の身体に心地良い。昨夜bar HOWSに携帯の充電器を忘れて、店の前のある場所に隠して置いて貰っていて、それを取りに行ってからの電車。照りつける日差し。日焼け止めも日傘もしていないので、毎日少しずつ私の肌は焼けていく。でも毎年冬にはまた白くなるからいいや。適度に日を浴びることは人間にとって必要だなって感じる。暑すぎたら影に入ればいいし、全て感覚を信じたらいい気がする。



昨日は調子が良くなかったけど、新しい服を来た。膝を出すのは初めて。これでまた1歩、封印が解けた。いいねがたくさんもらえて嬉しかった。またこの丈の服も着てみる。

足がきたないというのもあったけど、街を歩いたら男性にじろじろ見られるんじゃないかという恐さもあり、歩きながら人の目線を観察してみましたが、誰も見ていませんでした。これくらいだったら誰も見ないんだってことも分かり、見られる精神的な窮屈さもなく、また着れると思いました。まあ、見られたとしても、今の私なら、平気な気もします。

色んな服、着てみたい。

海外旅行者の女性、皆、ショートパンツだな…。
確かに、見慣れた風景。

来週、高校時代の友達と久しぶりにお茶することになった。何年も借りっぱなしのデヴィッド・ボウイのMV集のDVDを返さねばと。緊張するかな?前に会った時は私は自律神経失調症が酷くて、お茶するだけで緊張していた。一番辛い時期に世話になった友達。元気になってからは連絡を取って居なかった。

どうしたらいいんやろう?って、全てに迷っていた時に「どうしたいの?」という考え方を教えてくれて、それを軸に私は自分を取り戻していけたことは、忘れていない。

今は私がほかの迷い人にそれを伝授している。受け継いでる。


ハードレインのライブは、やはり思った通り、ほぼ自然体で自分が演奏したいように演奏出来た。その感覚は10年、15年、20年と焦がれていたもので、ライブ中に幸せを感じていた。曲によっては少し手こずっていた部分も無きにしも非ず。だけど、心と演奏を一つにして出来たので私にとっては素晴らしい時間でした。

終わったあと、対バンの男性から「めちゃかっこよかった」と言ってもらえて、そういう感想はMujika Easelはもらったことがなかったので、とても自信になりました。かっこいい人間になってきたのかも。

木村さんもきてくれて。ハードレイン1番目を見て、抜けて心斎橋でライブ2本見てきたらしい。そして、私の出番にまたハードレインに帰って来てくれて見てもらえた。流石すぎてびっくりした。ここ1週間で3回も木村さんに会いましたね。笑。なんか仲間感が…笑。そうですね、15年前くらいから私のライブ見てくれてますね、他のバンドさんもたくさん見ておられて、辞典のような。またトーク動画も撮りたいです。

namelessさんのピアノすごく好きで。というか、私の男性バージョンみたいな…。歌はエアロスミスみたいなエモーションさで、何もない自然の静けさとそんな正反対のようなものが同居していて。ネパール人でイケメンで英語の発音が良いので、夏フェスを見た感がありました。対バンは2回目だけどいつもハードレインじゃなくなるなって、海外のスタジアムに来ているような…笑

本城さんにムジやんってあだ名を付けられたり、私の会話中に仕込まれているささやかなものにめっちゃオモロイとウケてくれたり、新鮮でした。同世代みたいで、昔話もしましたね。当時の音楽シーンの。

なので、楽しく過ごせました。
良かった。


次は、8/23@ベアーズ。悲しみかもめさんがすごく良くて、黒瀬さんにお願いして、組んでもらいました。私はステージピアノ持って行こうと思います。まだ鍵盤のタッチが使いこなせていなく、それの練習をしていこうと思う。

8/24@神戸big apple、廣樹さんとのやつ。原口さんと秦さんにゲストでずっと演奏してもらう。曲、即興その他色々の2時間ほどのワンマンライブ。バンドネオンは弾くし、即興では私ピアノ、廣樹さん尺八とかもやるかも。ぜひ、お願いします。

頑張って書いた…昼寝したい。






poemes d'un jour 98
光が差してきた。少し向こうの方。太陽の角度が変わっている。毎日。庭の城壁のように聳え立つ壁や小屋や桜の木やいろんなもののせいで複雑に編まれたこの家の光と影。柔らかく広がる光、秋を想像させる。

光などを見ている私の季節は旧暦に近い。

蝉の声が薄まって、デヴィッド・ボウイの1973年の声が、虹色に輝いている。


恋は本能だから、抗わないほうが良いんだって、その人のことばかり考えてしまっても他の人に罪悪感を持たなくても良いんだって思ったら、ほっとして、落ち着いた昨日の昼。そのうち消えてしまう麻薬のようなもの、人間の仕組み、本能、それに従うことが自然なんだ。って今更気がつく。日常を上手くやらなければという気持ちが大きかったけど、恋している時は上手く出来なくて良いんだな。

人生に何度あるか分からない貴重な時間なんだ。
来月にはなくなってるかもしれないし。

人間が成長するために必要なんだ。
誰かに深く影響を受けること。
滅多にないこと。

考え方や行動や表情や生活スタイル、色々全部に影響を受けてしまう。
それで良いんや。

その人と仲良くしている他の女性に嫉妬してしまっても良いんや。

会えないのに、会いたいって思っても良いんや(伝えるかどうかは別として)

全部そのままで良いんですね。
今日はコンテンポラリーダンスのワークショップの日。
だから、昨日もその話をしていて。
自分が感じたこと、全部OKで良いんだ。
考えたら動きが止まってしまう、不自然になってしまう。


その人は昨日の私のブログを読んだだろうか。
どっちでも良い。
気を向けてくれたから、繋がってるんだなって思って幸せな気分になった。

それだけ。

読んでいなくて、何も気がついてなくて、気を向けてくれたのはたまたまでも良い。
私は幸せを感じる。
それだけで。

ライブのこととかいつ書くんや、私は。

次か。

天下茶屋へ移動しなければ。

今朝の感じを書き留めたかった。
poemes d'un jour 97
夜中の3時、bar HOWSより帰宅。今日はライブもあったし、久々の高校時代からの友達とのやり取りもあり、何から書けば良いのやら。とりあえず、HOWSの扉を開けたら、また恐怖映画(前と同じやつ)がかかってて...轟音と叫び声がすごくて、カウンターの隅へ避難。

恐怖映画の途中で、外から店にゴキブリが入ってきて、キャーキャーって黄色い声で叫びました。恐怖映画はかかったままで、映画の中の女性の叫び声と、店内の私たちの叫び声が二重に重なっていた。叫びながらもそんな音響をしっかり把握しているのは職業病かもな...。

ゴキブリは別に怖くないんです。自分の家の中で出た場合は、庭から来た、庭の虫って感じの認識。だけど、暗い店内のどこに居るか分からないというのと、バックには恐怖映画がかかっているという状況...で、柄にもなく、反射的に叫んでしまいました。ゴキブリごめん、本当は嫌いじゃないねんって心の中でゴキブリに言った。

スムースさんがゴキブリをうまく追いやって、店の外に出した。ゴキブリってそんなに簡単に人間が誘導できる生き物なんだって不思議に思った。

このブログでは伏せ字は使いません。
ゴキブリは生き物だから。
蝶と同じ。

素早く迫ってくる感じは恐くもあるけど、反射的に。

楽しかった。


今日のHOWS、いつもと曜日が違うから、いつものメンツじゃなかったけど、良い感じ。来てすぐソファで寝ているラッパーは前に、私が恋したことで「世界に影響を与えた」って言ったラッパー。今日、たまたま梅田でそのことを思い出していたら店で会ったので面白かった。

起きている人とたくさん話をした。
前に一度だけ会ったことがあって、ちゃんと話したのは初めてだけど、楽しかった、嬉しかった。

そんな女子同士の話が「美しい」って言われて、
「へー」って思った。

やっぱ女性と男性って違うんやな。
女子同士の話が美しいとか、今まで思ったことなかった。

今日も「かわいい」って言われた。
HOWSに来ると、誰かが言ってくれる。
私はずっと笑顔らしい。
夢の国だから。
ここ以外の場所ではなかなか言ってもらえないので、病みつきです。笑
自信を持たせてくれてありがとう。
(照明効果で、皆かっこよく、かわいく見える説も...)

色々ここのおかげだなって、今日も思った。

「何かあってもここに来れば何とかなるから、(勇気出して解放していけてると思う)。」
って言ったら、みんなそうだって。

偉大なbar HOWSに再び感謝。

続きは明日書くか。
明日は休みではなかった。
12時半〜天下茶屋でレッスンでした。

寝ます。



出来事を報告中...?隠し撮りされていました、気がつかなかった。笑



ありがとう。

ここ、そこ、あそこの、みんなの幸せを祈って。

みんな素敵だから、大丈夫やなって思った。
poemes d'un jour 96
朝。蝉の声、昨日は無音だったから、嬉しくて、嬉しくて。なんでこんなに好きなんだろう、今年は蝉が愛しくてたまらない。満たされる、癒される。

歌詞のノートはこの家にあった。
ライブまでゆっくり出来る。

今朝の夢はあの人とあの人。
たぶん、私のことなんか思い出してくれてたと思う。
近々連絡がありそう。
明け方の夢は脳内整理じゃなくて、現実と繋がってるから。

近所の犬の鳴き声。

山に響く風の音。

光はまだない。


昨夜勇気を出して書いていることを書いて。最近は、特に勇気も必要とせず、普通に書いてるけど、恋のような愛のような想いについてはちゃんと書いてないなって思った。友達までは名前を伏せたり、伏せなかったり調整しながら個人について書けるけど、そういうのはどうにも難しい。書くべきか書かないべきか。

結構な確率でその人が読むかも知れないので、正々堂々と伝えたい反面、現実がぎこちなくなるリスクがあり。こう書いた時点で、すでにリスクを冒しているのだけれども。

なぜ、恋や愛だけ隠さなければいけないものみたいになっているんだろう。
友達感覚、友達感情は皆オープンにしていて当たり前なのに。

一人の人を好きになるって、ダメなことじゃなくて、素晴らしいことなのに。

私は平気でも、相手が嫌がるかも...っていうのが大きいのかな。私は誰を好きになって、誰にフラれてってみんなに知られても全然平気です。フラれるのも恥ずかしいこととは思ってないし。


何年間か結構長い期間、人を好きになれないで過ごしていたので、恋が出来る自分がすごいというか、人を愛せる自分が好きです。嬉しい。だからそうやって生きたい。

だから書きたいし、でも警戒しないで欲しいし、微妙なんですが。

まあ、警戒されたとしても、その都度、吹き飛ばして、時間を重ねていこうって思います。

障害や試練を乗り越えていけるものでないとダメだと思うし。

そういうものは、誰との間にでもあるのです。
友達含め。

怖がられたくないので、まずは友達って思ってるから、友達関係を築こうとしている。

だけど、本当は、今すぐで良いのです、私は。
でも、何年でも待つかも。

分からない。

来月告白してフラれるかも。

フラれても良いですけどね。

そのあとに、まだ好きか、もう良いか、自分の気持ちがどうなるのかも知りたいし。
まだ好きだったらそのまま好きなだけ。
たぶん、そんな感じだと思う。

窓辺に光が差してきた。

言いたいですね、好きって。

自暴自棄じゃないので、言わせてくれる雰囲気がないと、無理だけど。


過去の経験から分かったことは、1回目で受け入れてもらいたいってことです。3回告白して3回フラれてそのあと付き合えたことがあるけど、その時は嬉しいのは嬉しいのですが、フラれて諦めようとなんども気持ちを振り切るのを頑張って、でも時間を置いて、恐いけどまた立ち上がって告白してというのを繰り返して、忍耐の疲弊と、傷だらけで...。付き合えた嬉しさでも、その後の優しさでも、傷がなかなか回復しなかったです。ふとした時に不安や恐怖や怒りが。

だから諦めないのは良いことのようで、ズタズタには傷ついてしまっていたらダメなんだなって思った。

傷ついてはダメなのです。

だから気持ちはあっても、あえて頑張れないかな。

同じじゃないとダメなんです。




会いたかった。



安堵に包まれたい、穏やかに落ち着きたい。



同じかな、違うかな、違うかも。
いつもそうだから。


好きになってほしい。


私はたった一人を選んだ。


そして、
選ばれないといけないんです、
はぁ...


難問だ


無理かも...


まあ、でも、楽しいです、毎日。笑

たくさん幸せ。



poemes d'un jour 95
私の歌の歌詞のノート、どこへ行った。天下茶屋か。明日、ライブ前に、天下茶屋へ行かなければ。今日行くはずだったのだけど。

8月はものすごく忙しいはずだったけど、とても余裕で、むしろ暇で。動画を4本も編集した。お盆休みがあるとは思わなかったので忙しいと思っていたけど、結構休みが取れた。

あっちの世界と繋がる。
昔はよくあった。

感覚を開くだけで、普通なのですが。
そして、雨の日は多い。
水に電気が通りやすいからだって、昔思ったけど、どうかな。
電気信号なんだと思う。
電気を帯びている。
自然界の。

だから、普通だと思う。

眠い。

受信体質。

送信は出来ているのだろうか。
それが昔からの疑問。

眠い。

全部を受け入れる。

送信も今はできるようになっていると思う。
願いが叶うから。

だけど、中途半端にちょっと違って叶ったりもするので、自分の心を明確にしておかないといけないなって思った。4月か5月ごろに、そう思った。

「みんな」というのをやめてから「人」を見る目が育ってきたように思う。

眠い。

危険な場所、どこに行こう。
あっちの世界も危険だし、そっちの世界も危険だし、どこもかしこも危険かもしれません。

家の掃除をしたり、服のアイロンがけをした。

玉ねぎと魚しかないと思っていたら、ミックスビーンズの缶詰があって、美味しかった。

久々、家で、お酒を飲む。
美味しい。

やってはいけないことなんてないんだ。

心や自分があれば。

やりたいことなんでもやればいい。

恥ずかしくない。

恥ずかしさをふり切るために、書き続けているようなもの。
その都度勇気を出して、書いている。

まずここが自分の戦いの場。

人に見られる所に書くのは勇気が必要だし、人知れずアップしておけばいいものを、さらにtwitterやfacebookにわざわざリンクするという、それがもうひとつ勇気が必要なことで、たまに私は何をしているんだろうと思うことはなくはないけど、その度に、これでいいんだって思い直す。

正々堂々としておきたいという感じ。

どんな自分であれ。

ここに書いてしまうことで、何かの場で、言い逃れできないように、逃げ道を塞いでいるというのもあります。

音楽は抽象的だし、芸術だから、逃げてしまえる。
創作とか、インスピレーションとか言って。
小説もそう。

日記は逃げられないな。

私は私を書くのです。



poemes d'un jour 94
台風はまだ来ない。動画の編集ばかりしている。明日のライブ、どんな服を着ようかな。



冒険がしたいな。
行ったことのない色んな所に行って。
色々感じたい。

少し危険な所にも行きたい。
でも、昔みたいに自暴自棄なやつではなくて、なんとかバランスが取れるギリギリで。

雨よ。
雨が降ってきた。
庭を潤して欲しい。

日照り続きで、植物も、土の微生物も生死を彷徨っている。

恵の雨が降ってきた。

まだポツポツとしている。

ザーザーとなったら、
この家は雨に包まれて、
別世界に繋がる。
美しい。

雨に包まれたら
いつも歌っている

解放して、歌ったり、ピアノを弾く
近所はみんな窓を閉めるし、雨の音が防音になってくれるから

昔から大雨の時は、思いっきり歌う


降ってきたと思ったら、また無くなった

まだかな

風が微かに山に響いている

あ、やっぱり降ってきた


遅く起きた今朝方は好きな人の夢を見た
少し遠くの方で本を読んでいた
poemes d'un jour 93
変わってゆく。
私は変わってゆく、
私たちは変わってゆく。


今年から急激な変化が。昨年の7月からYouTuberも始めたし、最初は毎日アップしないといけないと思って人に演奏してもらう時間もなく一人で1ヶ月くらい毎日クラシックピアノを撮影し続けましたが、相当きつくて。今は、マイペースで楽しくやっている。


YouTubeのおかげで、急に多くの人と会うようになり、カメラのおかげで人に話しかけたりも出来るようになり(それまでは話題が思いつかなくて出来なかった)、今は、カメラ無しでも人に話しかけることが出来るようになった。すごいことだ。


友達も出来て、自分のことをなんでも話すようになって、進んだり、1歩下がって調整したりしながら、また進んでいる。


音楽も、何年も新曲がほぼなかったのに、急に作れるようになって。新しいイメージの曲を。それで、歌も心で歌えるようになってきて、つい先日、クラシックピアノも人前で特にミスなく弾けるようになって。もういいやと思っていた即興にもまた新たな段階を見れるかもって思うようになってる。


今日は、動画の編集を迷いに迷って、YouTuberとして自分の中では今まで無しだった方向を選んだ。でも、気に入っている。


関わりの中で、自分の過去封印していたものや、新たな感性が湧き出てきている。


これからやな。

ますます。





成長出来たら嬉しいんだ。

面白いんだ、人生。

だと思う。




自分が変わっていくのが、面白いんや。



この世でやりたいことは、
自分を成長させることと、
好きな人と一緒にいることやな。

それだけで、パーフェクト幸せやな。

庭はいつでもそこに在ってほしい。




明日も新しい私になりたい。
だから、書く。

色々、もうちょっと本気でやれそうな気がする。
自分なんか...というのがなければ出来る。